食卓の風景
先日、自分の幼いころの食卓の風景を思い出しました。
幼いころの食卓・・・箸立てが置いてあり、フードがついた調味料置きが、おきっ放し。
冬には、みかんが並べられ。。。
そのテーブルを囲む、両親と、幼い頃の私と兄弟の悲喜こもごも。
父親が、不在のときだけの、特別のメニュー。
母と私と妹で作った記憶。無いと思っていた、穏やかな記憶。
突如修羅場に変わる夜。
布団をかぶって、泣きながら、心細くも眠れない夜をすごした日々。
食卓が、宴会場に変わるときもある。
大人たちの上機嫌な大きな声と酒の匂いが充満する。
その後の、喧嘩。。。(汗;
雑多なものの中で育ち、それもこれも、今は懐かしい気持ちと共に、
まぎれもなく今の私につながる記憶たち。
どれひとつ欠けても、今の私は無かっただろう。
そうやって、人生を食卓から眺めると・・・いとおしさが募る。
あのころ・・・一生懸命に生きていた両親がいた。
そして、必死に生きていた幼い私がいた。
そんな食卓の風景・・・
みなさんの記憶の引き出しを見せてください。
2010年01月12日 22:53 by りんりん
昨日、久しぶりにおでんを作っていたら、実家のおでんを思い出しました。
冬になると、母が時々、おでんを作っていました。
中2の冬に引っ越してからは、台所のストーブでことことたかれていて、
ふたを開けると、湯気といっしょに、おだしのいいにおいがしていました。
具材は、大根、卵、三角に切ったこんにゃく、ちくわ、ごぼ天、串にささっ
ていない三色ボール、じゃがいも、骨付きのかしわ。
三色ボールは、子供心に「ピンクがいい」と思っていて、大体いつもゲット
するのに成功していましたが、数がないと妹たちに回されることがあり、
「あんたら白か緑でいいやん」と、内心ふてくされていました。
そう言えば、「あんたこっちが好きやろ?」と、緑と白を妹に押しつけた
記憶も^^;
実家では、おでんはしょうゆをつけて食べていました。
大人になって、初めて外でおでんを食べたとき、しょうゆをつけないで
食べるものだと知って、たいそう驚きました。
からしは父が使っていたので、大人になったらあんなふうにして食べる
んだなと思っていました。
しょうゆをつけて食べるぐらいなので、たぶん薄味だったんだと思いますが、
母のおでんが好きでした。
2013年11月28日 11:17 by まるこ
特に思い出すことがなかった
食卓の風景・・
チャットでグワッ~って思い出したことを
書いてみました。
http://kibouhasutenai.blog16.fc2.com/blog-entry-60.html
そしたらまた一つ思い出せそうな感じです。
2010年05月03日 21:24 by つゆこ
食卓にホットプレートを置いて
よく 「お好み焼き」を作って食べてました。(今も・・ですが)
いつだったか 「父が マヨネーズあるか?」といって
お好み焼きに かけだしたんで ビックリした記憶があります。
「おとうさん 何かけてんの~~マズそうやん!」
「そうか~ まぁ 食べてみてみ、ほら いけるやろ?
この前な 外でお好み焼き食べたときに マヨネーズかけてんで!」
「ほんまやわ! おいしいなぁ~~♪」
これが生まれて初めて 私が
お好み焼きにマヨネーズかけて食べた 衝撃の瞬間です。(笑)
今では 当たり前のように 使ってるけどね
私はまるこさんと似た所があって、夜勤だと父がいないし
普通勤務の時も残業で、父親抜きの4人の食卓が
多かったです。
両親共に箸の上げ下ろしや、好き嫌いをすることには
厳しくて、少し緊張感のある食卓だったように思います。
少なくとも今みたいに、テレビ見ながら笑って
食べるなんて考えられませんでした。
テレビのチャンネル権は、父だし・・・
妹が父に怒られて、箸が飛んできて
ふすまに刺さったことがありました。
何をしたのか、私も本人も覚えていません。
でも母とコロッケを山のように作った日とか、
お鍋をかこんだ日は、楽しい食卓だった記憶が
あります。
でもやっぱり楽しいことより、つらいことの方が
記憶に残りやすいのでしょうか・・・
2010年03月31日 10:29 by Miina
食卓の風景
とは少し違うかも、ですが
忘れられない出来事があります。
わたしが小学生のころ
母は朝早く出勤することもあり、そういう時は父が代わりに朝ごはんを用意してくれていました。
それは、父がにぎったおにぎり。
小さいころ病気がちだったわたしはもちろん小食で、大きな父の手で握ったおにぎりはもう見るだけでお腹がいっぱいになるほどで した。
でも言えない...
そして私のとった苦肉の策は
子ども部屋のゴミ箱にすてる
だったのです
あ~言えなかったんだよね..食べられないって
そんなことが何度か繰り返された後
とうとう父に見つかりました
そりゃそうです
ゴミ箱を片付けるのは父だったんですから。
父の手に食べかけの見覚えのあるおにぎりが握られていたとき
わたしは怯えました。
怒られる...怖い
でも
父は怒りませんでした
少し悲しい顔をして
「どうして捨てた?」
と言いました
わたしは何と言ったかはっきり覚えていないけど
食べきれない、というようなことを言ったと思います。
「次からいらなくなったら、お父さんのところにもってこい。
食べ物は捨てるな。もったいないだろ。こんなことしないで言えばいいんだよ」
とだけ言った。
わたしは黙っていたように思います。
それからは小さくなったおにぎりが出て
もう捨てることはありませんでした。
あのとき
わたしはちゃんと言っただろうか?
お父さんが握ったから嫌だったんじゃない
大きかったから
食べられなかったんだ
怒らなかった父は
やさしかった
食卓の風景 思い出してみました。
父は公務員、残業もほとんどなく寄り道もせずきちんと家へ帰っていました。
母は料理は美味く、父も「お母さんの料理は自慢できると思う」と
言っていて、母もそれを聞いて満足そうでした。
私も母は料理が上手だと思ってます。
父はお酒が好きで、晩酌は欠かしませんでした。
そして、気分が良くなってすぐ横になりそのまま寝入ってしまうことも
よくありました。
家族がそろう食卓。
そのときの感覚をおもいだしました。
だんらんの風景。
妹の楽しそうな笑顔。
いつもとおなじところにすわっている父。
雑談しながら料理をつくる母。
その風景をながめる私。
いつもの風景があると
その中で
安心してテレビをみたり,食事をしたりできました。
いつも同じだったから
わすれていたけど,
確かにその場から,あすへのエネルギーを得ていた気がします。
2010年01月29日 18:48 by ルチル
私が小学生、中学生の頃、休日は、家族そろって夕食をとっていました。
テレビのチャンネル権は父が握り、プロレス、ドリフに
「何が面白いのか」と母は言いながらも一緒に見ていました。
母なりに父をたてていたのでしょう。
パートに出ていた母ですが、お惣菜を買って済ませることはまれでした。
母の手料理はおいしかった、これは認めざるを得ません。
ある日突然、父がナイフとフォークで食事をとりました。
カラフルハンバーグでも食べたのかしら(^^)
ナイフとフォークの使い方を説明してくれて、私はそれを見ていました。
すぐ後、外食の機会があり、お子様ランチを卒業した私にもナイフとフォークが並べられました。
人に切り分けてもらわず、自分でハンバーグを切って食べた時は、嬉しかった~。
「お父さん、ありがとう、役に立ったよ」と思ったのを思い出しました。
お子様ランチ、そういえば、母と二人で数回、外食しました。
妹は誰かに預けていたはずです。
母を一人占めして、ごちそうを食べたことがあったんですね。
2010年01月23日 23:08 by ちえ
食卓の風景で印象深い記憶は、日曜日の朝食です。
唯一、家族が揃って食事できる朝。
うちは、イスのあるテーブルではなく長テーブルのちゃぶ台
で正座して食べていました。 誰も決めたわけではないのに家族の
座る場所は決まっていて・・・違う場所で食べると違和感を感じていました。
そして、日曜日だけにならぶメニュー。
スクランブルエッグにウィンナーに千切りキャベツとトマト。
そして、日曜日の朝は姉妹でパン屋さんに食パンを買いに行くのが
日課でした。 切り立ての食パンはやわらかくホワホワです。
帰ると、コーヒーの匂いが家じゅうを囲みます。
その記憶が今、私が”コーヒー好き・・・”になり
飲めば落ち着くという心の栄養源だと 以前、りんりんさんから
言われ、納得したことです。
あと、月一度ペースで家の中で焼き肉をぽん酢で食べたことも思い出深いで
す。 父はそんなに怒る方ではないけど食べ方だけには厳しかった。
箸の持ち方、座り方、食べるときクチャクチャ言わせない等・・・
海苔をご飯に巻いて食べる食べ方で 箸を使わず手で海苔にご飯をくるんで食べ
ひどく怒られた記憶も。 母はそんなに言わなかったけど。
食後のデザートもアイスかフルーツを必ず出してくれました。
いつも、テレビがつけられ 家族の会話というのはあまりなかったけど
食べた後も、その場から離れず一緒にテレビを見たり姉妹でピンクレディーを踊
ったり父や母の肩揉みしたり。そこには笑顔もあったなぁ・・・
2010年01月19日 19:07 by アイちゃん
【続きです】
中2の冬休みに引っ越した後は、確かに5人そろって、食卓を囲むようなことは、なかったと記憶しています。
食事時間に父が帰っていても、父は違う部屋で、ひとり、ごはんを食べていました。
いや、母に、そうさされていた…と言う方が、正しいかもしれません。
その頃は、もう、父は家の中で、ひとりだけ、完全に「悪者」になっていた(今、思えば、そのように母に操作されてきたのですが …)ので、私は、心のどこかで、「こんなの、おかしいよな」と思いながら、それが「当たり前」と思うようになっていました。
でも、子供の頃、毎週、日曜の夜は、「ガッチャマン」を見ながら、父もいっしょにカレーライスを食べていて…父は、いつも、カ レーに生卵の黄身をふたつ落とし、ソースをかけて食べていた…そんな記憶が蘇ってきています。
あと、すき焼き…この前、すき焼きをしたときに、「お酒を入れていたのは、父だったんだ」と、思い出しました。
こうして記憶をたどっていくと、短い期間ではあったかもしれませんが、親子5人で、楽しく食卓を囲んでいた時期も、あったのだ ろうと思います。
「私は家族団らんを、知らずに大人になった」…ずっと、そう思ってきましたが、「全く知らなかった」わけではなく、わずかでも 、あったかい食卓の風景…は、あったのだろうと、思うのです。
父・母・私・ふたりの妹…5人でごはんを食べる…「父もいっしょに」食卓を囲むのは、きっと、うれしかったと思います。
そして、今、その風景を思い出せば、あったかい気持ちになります。
話がずれますが…
毎晩、毎晩、大声でけんかをしていた父と母。
でも、それは、私たちが寝た後の、夜遅い時間でした。
(私は、お布団には入っていましたが、眠れなくて、知っているわけですが…。)
子供の頃、私たちの前で、けんかをしなかった(1回だけ、母が包丁を持ち出してきたことはありましたが…とても怖かった。今で も鮮明に覚えています。)のは、もしかしたら、父と母なりの、私たちへの思いがあったのかもしれないなと。
ふと、そんなことを考えました。
2010年01月15日 23:22 by まるこ
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