幽霊 -ghost-
ぼやけた男
灰色の煙がすぐ前を漂い、目が、微かに痛くなった気がした。柵の向こうの建物の庭に、小さな、銀色の焼却炉があった。焼却炉か らは、微かな赤い火が、ちらちらと漏れていた。周囲の全てがぼやけている中で、その赤い火は、奇妙なほどくっきりと、僕の目の前 に強く迫っていた。その煙はこちらに近づき、僕の夢の視野の中で、僕と月の間を漂い、少しずつ、上へ昇っていた。煙は柔らかく、 いくつもの筋をつくりながら、ゆらゆらと揺れた。このような自分の身体より、その揺れる灰色は美しく思えた。灰色がぼやけ、目の 前に火を見たと思った時、その向こうに、ぼやけた男が見えた。僕のことを、少し離れた場所で、見ているのだった。その男は輪郭が なく、空気に紛れるほど薄く、手や、足の先が見えなかった。胴体の中央辺りがなく、その向こう側の、暗闇が透けて見えていた。僕 は、この男が自分を、あのちらちら光る熱のようにするのかもしれないと思った。僕をあのようにするために、あの男は、様子をうか がっているのだと。僕に火をつけ、僕はその場で燃え、僕は煙になるのだろうと。だが、施設の建物から人が出てきた時、その幽霊は 夜の空気に溶けた。頭上には、月があった。あのぼやけた男は、自分の役割を、怠っている。僕は、この地上に自分が残されているこ とを、意識し続けていた。施設から出てきた人影が、僕に近づいていた。僕が誰かの手に拾われる瞬間を、この月は見ている。僕は、 仰向けの自分の身体を、無防備に曝していた。腹部の辺りに、微かな、恥のような熱が動いた。
「月の下の子供」 中村文則『世界の果て』
「僕」がまだ赤子のとき、最初に見た幽霊の記憶。
ここは幽霊についてその出没の記録のトピックスです。
2010年02月16日 00:16 by cymbalina
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