【 青葉時雨 】
“あおばしぐれ”と読みます。
時雨と言っても、本当の雨ではありません。
雨が過ぎた後、木立の間や大木の下を通り掛かると、風に揺れる枝から、まるで雨の様に雫が降り掛かる事がありますよね。それを “青葉時雨”と呼びます。
梢から滴り落ちる雫には青葉の色や香りが宿っていそうで、そんな時雨なら、濡れて歩くのもまた楽しいかもしれませんね。
新春のお慶びを申し上げます。
【歳旦三つ物】
若水の珈琲舌を焼きにけり
初東雲の照らす丹沢
春の夢散り際までの逢瀬にて
今年も宜しくお願い申し上げます。
【 雁供養 】
“かりくよう”と読みます。
雁の渡る季節になりました。
雁が秋に本州に渡って来る時に、海上で休む為の木の枝を一本咥えて来て、春に飛び立つ時にまたそれを咥えてゆくと信じられてい ました。
春の浜辺に残る小枝は、冬の間に命を落とした雁の物だと言います。
古の人は故郷へ帰る事の叶はなかった雁を想って小枝を拾い、それを燃やして風呂を焚き、雁の供養としました。
その為“雁風呂”とも言います。
日本人の繊細さ、想像力の豊さを思わせる故事だと思います。
【 心恋 】
“うらごい”と読みます。
古くは「表」は「面」、「裏」は「心」と表現していました。つまり「心恋」は、心に秘めた恋を言います。
また同じ様な言葉に「下恋」と云う言葉も有ります。
「裏」や「下」と云う言葉は、余り良い響きではありませんが、どちらも誰にも知らせず、心の内でそっと燃える恋心を表現する言 葉です。そう思うとだんだん美しく思えてきませんか?
【 空蝉 】
“うつせみ”と読みます。
この言葉も日本人の繊細な感性を表す代表的な言葉でしょう。
空蝉とは蝉の抜け殻の事です。
蝉の抜け殻を見て、その軽さにその虚しさに、命の儚さを思う…素敵ですよね。
【 夕山 】
“ゆうやま”と読みます。
黄昏の暮れ残る光に墨絵の様に見える山々の姿を、夕山と言います。
山の稜線を照らす夕日が沈んで星空に変わる前のほんの一時の景を、鋭く捉えている言葉だと思います。
【 月影 】
“つきかげ”と読みます。
月の光に照らされて映る影や、月の姿形、月光、月そのものの事も言います。
月だけでなく月の影や光にまで情緒を感じる事の出来る日本人の感性は、本当に繊細で深いですね。
【 佇まい 】
“たたずまい”と読みます。
黙って立っているだけで総てを語る力。
日本文化は“察する”文化だと言わていれます。
我々日本人は言葉にしなくても感じる事が出来るのです。
空気を読む、
人柄が滲む、
行動が匂う、
音色は音の色を見ます。
五感の総てを使って感じる。
察する力は偉大です。
“風流”“情緒”等、見る事も触れる事も出来ませんけれど、この“察する力”を持つ日本人ならば感じる事が出来る。
欧米人はとかく日本人は曖昧だ等と言いたがりますが、曖昧は雰囲気やニュアンスを引き寄せる為に大切なアイテムなのですよ。
大皿にポテトフライと目玉焼きとポテトチップを盛り上げて、食事だなんて言っている輩に、日本人の何たるかを言われたくないで すね。全く。
【 知足 】
“ちそく”と読みます。
足りている事を知ると云う意味の禅語です。
贅沢には切りが有りません。
欲しがるばかりの人は何時までも満足感を味わえずに飢え苦しむでしょう。
本当に自分の欲しい物、必要な量を見極めましょう。
十分だ、足りている。
そう思えた時、幸せを感じる事が出来ます。我慢をするのではなく、妥協をするのでもなく、足りている事を知るのです。
小さな幸せに気付く事が出来る人は、沢山の幸せを手に入れる事が出来ます。
これ、俺の座右の銘です。無駄が無くて美しい言葉でしょう?
短歌仲間の禅寺の坊主に習いました。
【 後朝 】
“きぬぎぬ”と読みます。
恋人同士が一晩一緒に過ごして別れる事、そしてその朝の事を言います。
「後朝の別れ」等と使います。
古代では後朝の別れの後、歌を詠んで贈ったりしました。
情緒が有りますね。
今の恋人同士はメールなんかを送りあったりするのでしょうか。
しない?
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