~ 静寂に 慣れること ~
~ 静寂に 慣れること ~
私たちは、日常の中で、つねに動き回っています。
目を瞑っていても、じっとしていても、
頭の中で なにかを考えていれば、動いていることと同じことなのです。
『 無 』 や 『 空 』 を追い求めるのではなく、
まずは、静寂に 慣れること、心の静けさを 好きになることなのです。
なにかを求め、それに向かって進んでいることが、
” 私らしい 私 ” というように、感じる人達も 多いかと想います。
なにもしていないと、時間を無駄に過ごしているような、
自分らしい自分ではないように 感じてしまうようなこともありますが、
そんな時こそ、止まれる ( 静寂を感じられる ) チャンスでもあるのです。
一日の中に、少しの時間でも、
心を静かにしてみる時間をつくることが大切です。
まずは、静寂に慣れること、心の静けさを感じることが大切です。
有為である ( 動き回っている ) ものが、
無為になる ( 止まっている ) ものになることは、簡単なことではありません。
2011年10月08日 17:14 by ひろみち
瞑想をすることによって、なにかを得ようとしていたり、
なにかを求めているのも、動いている状態と同じことなのです。
あんにゃろ~も、こんにゃろ~も、ワクワクも、ドキドキも、
どれもが、動き回ってしまっている状態なのです・・・
初めのうちは、なかなか・・・
止まること(リラックスする)ことさえも難しいことだと想います。
その為に、アロマや お香を使ったり、音楽を聴いたり、
静かな場所を選んだりして、環境を整えることも有効です。
しかし、それも、対外的なものに こだわってしまうことにもなりますので、
モノや 場所、形や 時間に とらわれないようにしてゆかなければなりません。
心の鎮まってゆく様子や、静まったときの状態を
内に定着してゆくことで、いつでも、どこでも、そのようになれるのです。
2011年10月08日 17:25 by ひろみち
基本的には、瞑想に 特定のやり方は存在しません・・・
止まる(心を鎮める)・観る(客観的に観察する)・定まる(安定する)
以上の三つのことを サンニャマといい、瞑想法のほとんどは、
この三つのことに基ずいて、いろいろなプログラムが創られています・・・
瞑想は、目を瞑って 座るだけが 瞑想ではありません。
日常の中で、意識をしながら生活すること、
つねに、自分自身に気付いていることも、瞑想なのです。
” 静寂に 慣れること、心の静けさを 好きになること ”
安らかな心の状態に整えてゆくこと、
その状態を、対外的なものとして捉えるのではなく、
内にあるものとして認識してゆくことが大切なことなのです。
ここでのポイントは、ほぐすこと、ゆるめること、
ほぐれた状態、ゆるんだ状態を 認識する為には、
緊張している状態を認識することも重要になってくるのです。
怒り、憎しみ、恨み、嫉妬、嫌悪・・・
それは、緊張しているときの状態に似ています。
身体を動かし、呼吸を整えることによって、
心が鎮まり、そこから振り返って観ることによって、
その物事から、たくさんに気付きを得ることができます。
2011年10月08日 17:23 by ひろみち
Copyright(c)1999 FC2, Inc. All Rights Reserved.
@fc2infoさんをフォロー