~ 調身・調息・調心 ~
心を 静かにしてみれば・・・
心には、安定した状態のときと、
不安定な状態のときが あることに気が付くと想います。
余裕がないときは、呼吸も浅く、どこかに力が入っていし、
余裕があるときは、呼吸も深く、心も落ち着き、身体も ゆるんでいます。
一見すると、当たり前のように感じるかもしれませんが、
それは、外で起きていることで、そのようになっているのではなく、
内にあるものが、そのように感じて、そうしてしまっていることなのです。
そのことに気付くことができれば、呼吸と 身体を 整えてゆくことで、
いつでも 心を 穏やかに 清々しい状態に保ち続けることができるのです。
心は、こだわりや、わだかまりがなければ、
つねに穏やかで、清々しい状態なのですが、
意識を、外に向けたままの状態であれば、そのことにも気が付きません。
例えば、広大な海を観ると、自分のちっぽけさや、
悩んでいることが、とても小さなことであったことに気が付くと想います。
登山をしているときには、清々しさを感じて、
山頂に至っては、その素晴らしさに我を忘れているようなこともあります。
でも、帰り道になると、明日のことを考えたり、
先のことを考えたりして、少し心が沈むこともあります。
すべて、心が、そのようにしてしまっていることなのですが、
対外的なものによって、私たちは、多くのことを教えていただいているのです。
2011年10月08日 17:39 by ひろみち
身体を整え、呼吸を整え、心が穏やかに、
静かになっているときの状態に 意識を向けてみることです。
きっと、そのときには、
わだかまりも、こだわりも、ない状態であると想います。
そうなれなくても、
練習することによって、自然にその様になってきます。
心が騒いでいても、騒いでいることに気付き、
整えてゆくことによって、心が静かになってゆきます。
心が 騒いでいるときにも、そのことに気付いていることです。
心が 静かになっているときにも、そのことに気付いていることです。
イライラしているような時には、
そこのイライラに焦点を向ければ、もっと激しい感情が起ってきます。
焦点を、身体や呼吸に向けて、
整えてゆくことによって、心は静かになってゆきます。
いつでも、整えてゆくこと・・・
だんだんに、整えるのが上手くなってゆきます。
余裕を持って観れることが、
自分を信じる自信に繋がってゆくことになるのです・・・
瞑想をしていると、自分のことが好きになってゆきます
自分を 探求することが楽しくなってゆきます・・・
それは、自身を通じて、
様々な関わり合いの中に、自他を見いだしてゆくからなのです。
2011年10月08日 17:41 by ひろみち
自分一人では、
なかなか 自分自身に 気が付くことができません。
素直さ、謙虚さ、学ぶ気持ちがあれば、
つねに、周りが教えてくれていたことに気が付きますが・・・
偽りの癖、誤魔化しの癖が、
物事を正確には、見せてくれなくしてしまっているのです。
周りのありとあらゆるものは、
自身の心によって、如何様にでも捉えることができます。
そして、そこに映ったものは、
心によって、映し出されたものなのです。
その癖さえも、人のせいや世の中のせいにして、
自分を省みることもなければ、気付くはずもありません・・・
なにかのせいにしようと、いつも意味や 理由を 探しているのです。
意味づけや 理由づけをすれば、
その場の一時は、楽になるでしょうが、
根本的なものは、なにひとつ変ってはいないのです・・・
2011年10月08日 17:40 by ひろみち
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